惰性

ども、こはるです

ここ最近何故か遅い時間まで目が覚めてしまいます。

明日も早いんですけどね。

寝れない間はまあダラダラと本読んだりしながら時間を過ごす日々が続いているわけです。

 

ここ最近は自分から何か物事を考えて行動することに嫌気が差してきたといいますか、

面倒くさくなってきたんですよ。

誰かが動いたらそれについていくかのような生活を過ごしたいものだなと思ったり。

まあ、比較的自分は平穏無事な生活を遅れている(と思いたい)のですけどね。

ただその反面時には少しばかりの刺激も欲しいなと思うことがあったりしますね。

最近は毎日に変化がないので余計にそう思ってしまうようです。

そして綴っている途中でテーマの方向性を見失ってしまいました。

 

まあ、まとめもつかずカッコ悪いのですけどこんな感じで、

でわでわ

 

 

書こうと思ったら

どうも、こはるです

優しさについてを書こうと思ったら

あれ、前回も書いてる...となったので流石にと思いやめました。

ふと思ったのですが自分のブログを見ると

『これ、「こはる」ってより「はるあき」

って人が書いてそうだな』

とか思ったり。

はるあきって季節で「春」と「秋」

が出てしまい

真反対の季節だなあと。

春と秋は自分にとっては

「The花粉症」というイメージしかなくてですね

毎年毎年悩まされているのです

そんなわけで多々花粉症について調べたりするのですけれど

今は薬でアレルギー反応を抑えるだけでなく

舌下治療(ぜっかちりょう)とアレルギーそのものを直してしまうことも出来るようになったみたいですね。

お悩みの方は是非耳鼻科に行ってみてはいかかでしょうか。

なんか、おかしなマーケティングみたいになってしまいましたが、

それでもアレルギーを治せるって言うことはホントに凄いことだと感じれますね。

アレルギーで食べれなかったものが

食べれることが普通になる時代が来ているということなのですから、

出来るようになることの幅が増えることは嬉しいですよね。

今日は話がそれにそれてしまった気がしますが

そんな時もあるでしょうね

ではでは

こはるでした

 

優しさと

ども、こはるです

最近は人の優しさを良く目の当たりにすることが多いです

優しさって各々で違うものなので

優しさを与える人が

その人が望む優しさに当てはまるか当てはまらないかを見極めるのってとても大変ですよね

優しさのあまりに身を滅ぼした人もかなり見かけたことがあります

「自分の優しさじゃ人を救えないと」

まるでお話の台詞の様ですよね

わからなくもないところがすこし辛いところであります

優しさから始まって自分に被害が及んだ人も少なくないのかと思います

気がついたら手遅れなんてことも多々あったりするので

優しさで紛らわすだけでなく

自分の気持ちを相手に伝えることも大事なのだと感じますね

 

優しさを与える人もいれば優しさを受ける人もいます

与える優しさのあまりそこに漬け込んで来る人もいますよね

漬け込んで来る奴に対しては

慈悲なく見捨てるのが答えなのではと

最近の自分は思っています

人を救いたいために自分を滅ぼしてしまうなんてあまりにも合わなさすぎる

人の優しさを利用する奴なんて

自分で悲劇を食らうのが一番お似合いなんですよ

優しさを与える基準というものは本来考えてしまってはいけないのかもしれませんが

自分に非がないように優しさを与える

自分に利があるように優しさを与える

本当は優しさを与えれば与えた分戻ってくるから人は優しくいられると思うのです

受け取った側は

自分の行動が相手に利益になるのか考えるのではなく非にならないか考えるといいと思うのです

優しさを与えるときと受けとるときは

お互いに幸せになれるべきなのだと

ふと思ったこはるでした

 

初めましてどーも

何か残したいときに
ふらっと書いたりするかもしれません
普段は「こはる」という名前で活動しています
プロフとかはおいおいわかると思うので
今は細かいことはかきません
てきとーな感じでお願いしますね